実は、父が死亡したのは、2023年2月中旬です。
なかなか気持ちが向かなかったので、ブログで父の事を更新出来ずおりました。
なお
亡くなってから色々ありました!
亡くなってから色々ありました!
父は地元の介護医療院に入所していました。
特養から介護医療院に移設してからは、コロナ禍で一度も面会出来ずにおりました。
父は、発熱を繰り返すようになり、短期間入院もするようになっていました。
いよいよかも😥
今年は一度面会しとかなきゃなぁ
と、2023年があけた頃思っていました。
まぁ最期に近づいているのであれば、さすがにコロナ禍でも、施設から面会に来て下さいと言ってくださるだろうと信じていました。
実は、母は何度か「面会に行きたい」と頼んでいたようですが断わられていたそうです。
同じ業界だからこそ、できるだけ間に合うように、面会を勧めてくれるものだと信じていました😥
しかし、施設(先生)からの連絡は
もう、発熱に対して効果のある抗生剤がない。今迄も、何度も発熱をして点滴をしてきたが、今回効き目がなければ最後にしても良いですか?
というものでした。
普段は、母に状態連絡をしていたようですが、決めきれなかったのか私に連絡があったのです。
「そうしてください。」とは答えました。
ここで、私も察するべきだったなと。
ただ、上司には伝えていました
「父の状態が良くなく、急に休むかもしれません。」
それから、2日後くらいだったかな
明け方に母から電話があり息を引き取った。
思ったより早かったなあ😰
やっぱり『息があるうちに会いたかったなあ』と言う気持ちが有りました。
面会出来ていたらこんなに死期を見誤ることなんかなかったという思いがありました
特養相談員をしていた時は、終末期においては、ご家族の面会を間に合わすということにかなり
注力していたので
私としてはね。。。
うん!!
ほとんど間に合うようにご家族に連絡していたよね。
勿論、看護からも、「そろそろ」など情報交換できていたこともあって、なんとなく最期がわかるようになりました。もちろんこまめに状態確認ができていることが前提です。
だからこそ、恐らく、先生も施設もわかっていたと思うのですが、コロナ禍で「面会」と言えなかったのだろうなとは思っています。
コロナ禍で面会できなかったからこその”心のこり”はありますが、面会できなかったことで、胃瘻増設後の末期を目にしなくて良かったと思う気持ちもあります。
おそらく、関節は拘縮、床ずれもあったかもしれません。。。
今、ふと、父が自ら「わしゃ、〇〇園入るで」と言った。そんなことを私に言えるのかなと考えてしまいます。
関係者の皆さまには大変お世話になりました。ありがとうございました。
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