大きな声を出すな! | なおともの時間

大きな声を出すな!

介護

小規模多機能型居宅介護の介護職員だった時の利用者のTさんの話です。

認知症、独居、男性。

基本、毎日「通い」利用で、時に「泊まり」があります。

その日は泊まりでした。

夕食を済ませ、居室に入ったTさん。

いつもなら、直ぐには眠れないので、部屋に入ったり出て来たり、トイレに行ったりします。

「今日は家に帰らないのですか?」と職員に質問したり、リビングのテレビを見たりしています。

それが、今日は何だか“静か”です。

様子うかがいを兼ねて訪室しました。

電気を切り、ベッドの布団はめちゃくちゃフラットにしています。

とりあえず、いつも通り「Tさん!失礼しま~す!」と声をかけました。

なお
なお

うん??Tさんどこ?

いました。

ベッドヘッドと壁の間に身を隠して、かすれた声で

「大きな声を出すな!」

思わず「えっ?」と私。

「敵に見つかる!身をかがめろ!」

エコバッグみたいのに、服をパンパンに詰めて、枕の場所に置いて身をかがめたり、顔を出したりして、指示が飛びます。

「はい!」と身をかがめながら退室した私。。。

同僚に「Tさんどうでした?」と聞かれて、「今の所生きてます」と報告。

なぜだか急に、軍人時代にトリップした模様ですね。

このTさん、自宅に【シベリア抑留時の労苦に感謝と慰労を込めての表彰状】が、大きな額縁に入れて飾ってありました。❨詳細は記憶不鮮明❩

シベリア抑留を経験された方で、もちろん、戦争経験もあります。

その時代の話しを聞きたくて、時に、ふってみるのですが、本人から、詳しくうかがえる事はありませんでした。

自宅に訪問した際に、あの表彰状を見ながら聞いてみた事もありますが、

「関係ない。どうでも良いよ。凄いことなんかない。」と、

思い出すのも嫌だったのか、当時、30前後の小娘に話してもわからないと思っていたのかわかりません。

でも、やはり、Tさんの人生において、強烈な記憶に残るものだった事には間違いないと感じています、、、

もしかしたら、今思えば、Tさんの哲学だったのかも

日本軍人なる者、弱音、苦渋を口にするもんではない!!

それとも、そういう教育を植え付けられていて、認知症になっても変える事が出来ないものだったのか?

そして、Tさん。朝は《ご飯》で、パンは凄く嫌いらしいです。

理由は不明でした。

他の利用者さんもいらして、何か、雑談をしていた時、

Tさんが「いつもパンしか出て来ないんだ!凄く凄くお腹が空いているのに、不味いパン1個だけ。お腹が空いていてもすごく不味んだ。だから嫌いだ!!」

私は、その時、よくわからなかったのですが、一緒にそこにおられたTさんと同年代の男性の利用者さんが「シベリアにおられた時の話じゃろう。」と、教えて下さいました。

シベリア抑留時は、本当に、食事といえば、美味しくないものだったそうです。

私達が想像するパンではありません。

あの時代は、米が主食の日本人です。パンなど食べたことない上に、敗戦国の軍人には、味など度外視で提供されていたと思われます。

パンと聞けば〔トラウマ〕で、「嫌いなもの」となったんでしょうね。

言ったことは忘れるし、急に怒ったりする認知症のTさん。

突然、私は、Tさんの職場の部下になっており

「こらぁ!きちんとしなさいって言っただろ!yk⊂ΗΕΕι⊄⊃⊂∥ー!!」

何言っているかわからなかったけど、たぶん、私は、Tさんの部下になっている。という状況もありました。

Tさんにとって、私は、その時々によって、違うキャラクターの人になっている様でした。

普通に、Tさんは、私を、ヘルパーや施設職員と理解している時もありました。

Tさんの中で、ヘルパーであり、部下や軍人仲間?だった私。

どんな形であれ、私を認識してくれていることは間違いない!

という思いで、接していました。

よく怒られたので、喧嘩もしたと思います。

認知症の方に限らず、利用者さんとの喧嘩はダメです!!

むしろ、私がTさんが好きだったから、吹っかけていたのかもしれません。

息子さんが、仕事帰りに通いで介護されていました。Tさん本人は、息子に面倒みてもらっている認識はほぼない。息子の嫁には何かしてもらっている感じが少しあるようでした。

金銭的な余裕はあられたと思いますが、ご家族は凄くよくみておられました。

認知症での一人暮らし、働いて、通いで介護って、私には出来ません。

少しづつ、小規模多機能型居宅介護の利用が増えてきました。

「泊まり」が入る前、毎日「通い」利用でした。

週休二日制の私よりも多く、事業所ヘ行っています。《キッツ😢》

本人もきつかったと思います。。

ある朝、迎えに行き、玄関で「Tさん、おはようございます!」と声をかけたら、返事がありません。

いつもと違うので、私もちょっと焦って、もう一度、大きな声で「Tさん!おはようございます!」

「今日は、ψ⊃∥∵∬∏∏ます。」

よくわかりません。

「あがりまーす!」と声をかけながら、中に入りました。

なお
なお

えっ?!

横たわり、海老のように丸まって、腰を、ストーブにあてています。

懇願されました。

「今日は動けない。休ませて貰えないか?

もうダメじゃ。お願いします。」

こんなTさん、はじめてです。

たしかに、正社員だって週5日出勤ですよ。こんな歳になり、週7日利用って疲れる。たまには休みたい。

様子をみる限り、急を要する体調不良はない。

そういう時こそ、

私の頭の中は、フル回転台風🌀🌀🌀

なお
なお

えー!どうする?どうする?

休ませてあげたい。

けど、一人には出来ない。

ご家族は仕事中。

体調の急変じゃない。

事業所に電話して休ませてあげたいというべき?

絶対に疲れてるし、行きたくない日もあるよね。

うん。

結論、

次の迎えないけん、遅刻になるのを覚悟でゆっくり話しを聞いて対応考えよう!

で、心を据えて

「どうしたんですか?休みますかぁ?」

最初は「もうダメじゃけ休みます」と言われてましたが、何回かのやり取り後、急に、「行きますよ」と言い行く事になりました。

細かい内容は全く覚えてません。

何故行く気になったのか?

言葉巧みな私に乗せられたのよね!

私のおかげよ。〈違うやろ!!〉

連れて行かなきゃやばいオーラが、私から出ていたのをキャッチしたTさんが、通常モードに戻っただけです。

ありがとうございます!!

さほどの時間ロスもなく、Tさんを車に乗せて出発しました。

恐らく、私に課せられた仕事を出来るようにしてあげないとと、Tさんは感じとったのだと思います。

認知症があっても、そういう所とか変わらないのかもしれません。

どっちが助けられていたのだろう?

Tさんは、ペーパータオルの収集癖があったんです。

いつどこで??

朝、自宅にお迎えに行くと、あの表彰状がある部屋の座卓に、ペーパータオルの袋から出したまんまの量が置いてあります。それも、3袋分!

綺麗に並んでいます。

えっ?いつどこで?

パクったしょ~🤭

以上、Tさんとの思い出です。

※あくまで私が感じた体験談で、基本的には実話です。しかし、歳月が経ち記憶が曖昧だったり、個人を特定されにくくする為にも、事実と違う部分があるかと思います。

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