数年前、なおのお父さんは胃瘻にしたけど、すごく悩んで決めたよね😢
うん。
悩んだというか落ち込んでいたと思うわ😿
胃瘻にするかの決断だけでなく、今までの自分の仕事に対する反省の気持ちでいっぱいになってからなんだ。
相談員の立場で胃瘻造設するかしないかの話が出た事が何度もあったけど、家族が選択するしかないとしか言えてなかった。
ご家族に問題を丸投げしていたこと、気持ちに寄り添ってなかったってことに気づかされたからなんだ。
高齢者介護では、経管栄養(チューブからの栄養補給)は延命治療と認識されています。
高齢者介護施設で働く職員の100人の95人は、胃瘻造設は嫌だと思っているんではないでしょうか?
もちろん、私もその一人でした。口から食べられないのに、生きてて楽しみがあるものか😢
そして何より、経年後、身体の低下が辛い人を多く見てきたからです。
現在、父は、地元の介護医療院に入所しています。その前は、特別養護老人ホームに入所していました。
特養入所の為に、胃瘻造設術をし、現在に至っています。
当時、経管栄養の選択は、私にとって、本当に苦渋の選択でした。
だけどいまは、胃瘻造設して良かったと思っています
胃瘻造設して良かったこと
栄養状態の著しい改善
救急搬送され命の危機もあった中、当初は、点滴だけでした。急性期の治療が終わり、そろそろ、急激な回復がみられない時期に入っていた頃です。胃瘻造設の話が出ていたのですが、たちまち、鼻腔栄養を入れると話がありました。
鼻腔栄養が開始され、数日後に面会に行ったのですが、少し前の点滴の時に比べて、すっかり顔色は良くなっていました。
なんなら私からの声かけに反応があったのです。
お父さん!!
おん。
この程度の反応ではありましたが、70代前半という若さもあったのか、栄養が体に吸収されているんだなとイメージできました。
身体機能の回復
鼻腔栄養で栄養を確保しつつ、身体のリハビリも開始していました。身体のリハビリに関して、理学療法士さんと父本人の頑張りもあったのか、寝たきり状態から杖歩行可能まで回復していました。
鼻腔からの栄養のおかげで、リハビリに耐えられたのかなと思います。
意識レベルの回復
リハビリが開始され刺激も入ってきた為か、意識レベルもどんどん回復して行きました。
面会に行ったら「なお、来たんか?」など会話が成立するレベルです。入院当初の話をしたら「覚えとらん」と言っていました。
部屋移動もあったのですが、意識が戻ってきてからの部屋や関わってくれる看護師やリハビリの方の名前しかでませんでした。
これもまた鼻腔栄養により、脳にも栄養がゆき血流がよくなったのでしょうね。
特養に入所できた
特養に入所するには、鼻腔栄養より、取扱が簡単な胃瘻増設する必要がありました。
その結果、特養に入ることができました。
そのおかげで、母はさみしさはあったと思いますが、随分、負担が軽くなりました。私自身も、仕事に忙殺されていた時期でしたが、自分中心の生活を送ることができました。
寿命が延びた
延命処置はしたくないという信念は変わりませんが、あのまま点滴のみでいたら、入院継続も困難で自宅に退院し、そのまま、亡くなっていたかもしれません。
その意味では、寿命が延びて親子の時間がつながったと思えます。新型コロナが流行するまでは、定期的に面会に行ったり、施設行事に参加していました。
胃瘻増設するまでの経過
父は、66歳の時、冠動脈が詰まりバイパス手術を受けました。術後、合併症で、脳梗塞を発症しました。
その後数年は、母親の介助にて、在宅生活を送っていたのですが、ショートステイ利用中に、突然の意識低下で救急搬送されました。
【脳幹出血】でした。
1ヶ月位だったかな?急性期を脱した頃に、嚥下機能に強く障害が残った事がわかります。
杖歩行可能状態まで回復する間もずっと、もちろん、病院との話合い時には、口腔摂取の可能性の検討とST(言語聴覚士)さんによるリハビリをお願いしていました。
田舎の病院だったけれど、ST(言語聴覚士)さんも関わってくれリハビリを頑張りました。
また、嚥下テストを繰り返しながら、口からの食事を望んでいました。母も、昼は病院に行き、食事介助をしていました。
私も食事介助をしましたが、ゴクン出来て食べられても、嘔吐のような感じで戻してしまう状態が続きました。
口腔ケアが嫌いな父に、面会の終わりに、毎度毎度「しっかり歯磨きをするように」と言っていました。
しかしながら、期待した回復期から慢性期になる頃、口腔からの食事は楽しみ程度にしか出来ないだろうとの診断がされました。
そこで最終的に【胃瘻造設】を決意、今に至ります。
胃瘻増設に否定的だった理由
胃瘻増設した直後や認知症がある方から「ご飯が食べたい。」って言われたとき、返す言葉がなかったことが、幾たびもあったこと、増設して数年後に辛い身体状況になる方を多く見たからです。
施設などの共同生活の中で、食事を食べている人が沢山いる中で、栄養補給だけという状況は、生きるためとはいえ哀しいものがあります。
そして、胃瘻注入に時間がかかるため、どうしてもベッド生活が長くなり、関節が拘縮してしまったり、床ずれができる人がいます。
栄養が強制的に補給されてしまい、死期が伸びてしまうことでつらい時期が伸びたんじゃないかという方もいました。
数年後、吸引が必要になり、自分の唾液や痰でむせて、誤嚥性肺炎を繰り返してしまう方も多かったです。そして、その状態になると、特養での入所継続ができなくなり、次の施設を探さなければならないことがおなじみのパターン化になっていたからです。
義姉のひとこと
胃瘻増設を決めるまでは、母、兄夫婦、私たち夫婦で話合いをしました。
私は、今は良くても将来的なことも色々考えており、マイナス思考サイクルにおちいっていました。
胃瘻(延命)はしない⇒自宅退院⇒誰が介護するのか⇒やっぱり特養入所か⇒じゃあ胃瘻にするしかない⇒でも胃瘻はいや
じゃあどうするの??
そんな私に「でも特養に入るには胃瘻しかないよね」とはっきり言ってくれました。
みんなの総意で答えがでているのに決断ができなかった私を前に進ませてくれたひとことでした。
父のひとこと
杖歩行できるようになったと報告される病院の相談員を横目に、急に、父が言いました。
わしゃ、〇〇園に入るで!
○○園は、父も知っていた特養です。
私も、介護福祉士を習得前に実習させていただいた事のある施設でした。
病院から自宅退院の話も出ていたのですが、施設申請に方向が確定しました。
現在の父
現在、父は75歳です。
新型コロナ流行により、2年近く、ゆっくりと面会する事が出来ていませんでした。
昨年の夏頃より、発熱による入退院が増えていたのですが、心配していた特養に退院できない状態になっていたのです。
吸引回数が多く、夜間も吸引が必要な状態です。
それでも、特養で出来る範囲で良いので、父が慣れた特養に帰らせたいとお願いもしたのですが難しかったです。
そして、タイミングよく、昨年の秋には地元の介護医療院に移設することができました。
介護医療院の料金のことで、母がパニック気味になったのですが、役所に相談してなんとか解決しました🙂
移設の際は、チラッと父と面会出来ました。久々だったので、ちょっと弱った感じがしました。
私の声かけには、反応が薄かったですが、母親の声かけには、目をパチクリさせていました。”
恐らく、拘縮もあり、床ずれも出来やすい状態ではないかと思われます。
吸引も必要です。
しかし、移った施設で慣れてきたのか、少し、わがままも出ている様子です。
まとめ
父が胃瘻造設する事を経験して、“胃瘻”だけをとって簡単に否定することはしなくなりました。
その人、その人にストーリーがある事を痛感したからです。
一時的に回復した父本人と話しが出来て、この経過がある事は、本当に良かったと思います。
私の場合は、家族で話し合いが出来た事、最後まで口腔摂取の可能性を検討して貰えた事、父本人が受け入れた事で、良かったという判断が出来ました。
しかしながら、あくまでまで、私個人の判断と感情の経過です。事情が違えば、違う判断をしていたと思います。
これからも、あの時の判断は良かったのか悪かったのか悩むことでしょう。
ただ、少しでも、胃瘻増設の話が来たご家族の参考になればと思っています。
病院の考えと違っても、きちんと思いを伝える事は大切です。
最後まで読んでいただきありがとうございました😺
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