小規模多機能型居宅介護で管理者をしていた時です。
夫婦二人暮らしをされていましたが、奥様が突然の病気で余命少なく入院することになりました。
残される旦那さんが、一人暮らしは無理だということで、小規模多機能型居宅介護を利用されていました。
その時は、おじいちゃんと言うには若く、当時、30代だった私でもお父さんという感じでした。
難聴だったので、テレビはイヤホンで聞いておられました。
それは良いんですが、イヤホンの線を指でグルグルする癖があリました。
で、そのうちに、ブチッっと断線させるんです。
で、スタッフから、「所長! ○○さん、またイヤホンが壊れて買いに行きたいそうです!予備ももうないです。」と言われます。
またかぁ〜〜😡
当時30代だった私がお父さんくらいと思ったくらいですから。
子供さんは二人おられました。長男、次男の、男二人です。
男性で働き盛りの年齢でしたし、嫁さんも忙しい時です。
本人は、その時は認知症がなかったです。
なので、基本的にサービスは本人意思決定を尊重していました。本人で用は足りていましたが、契約時や、家にかえらず、小規模多機能で連泊するなど大きな変化時には、ご家族に連絡していました。
本人が「長男は立派になり過ぎて頼みづらいから次男でよろしくね!」とのことで、私は次男さんとやり取りをしていました。
イヤホンごときで、ご家族にはお願い出来ません。。。
でも、イヤホン断線で、新しいのを買いに行くことになります。
職員だけで行っても良いのですが、この方とは、同行ヘルパーというかたちで本人と二人で行きます。
めちゃ近くにエディオンがあったので、もちろんそこへ行きます。
二人でお店に入って、一緒にイヤホンを選びます。
私「どれにします?」
○○さん「うーん?ま、これかな。」
適当に選びます。
私「何回も一緒に買い物来れないからね。すぐに壊さないようにお願いします!」
難聴なので、耳元で話します。
○○さん「はい!ボス! (`・ω・´)ゞ
以後、気をつけますのでお願いします!!」
難聴なので大声です。
店舗に響き渡ります(´゚д゚`)
ということで、この方とは、買い物での思い出がいっぱいです。
ある時、どうしてもということで、自宅へ一緒に戻りました。
その帰り、ATMでお金をおろすからとスーパーに寄りました。
ATMでの作業は全部本人がされました。
私「では、(事業所)に帰りますよ」
○○さん「(私)さん!! 一生のお願いがあります!!」
私「なに(・・;??」
○○さん「ロト6買いたいです!」
私「マジ? もう(~_~メ)」
結果、ロト6のマークシートを書いとる私。。。
その後。。
病気が進行した奥様は亡くなられました。
自宅には何回かは帰ったと思うのですが、施設入所の方向で小規模には連泊が決定したと思います。
長く生活していると、服なども新調しなくてはいけません。
服が要るなぁ。。。
また一緒に買い物に行きます。
近くに、フジがあるので、もちそこへ行きます。
当時、その方は、半パン、Tシャツが、鉄板ファッションでした。
私「Tシャツどんなのがエエかな??」
○○さん「派手な色がエエんよ!目がよく見えんようになって、僕が見えんでも派手なの着とったら相手が気をつけてくれる!って息子が言うけん!!」
難聴もありましたが、目も見えにくくなっていました。
私「そうかぁ。。。じゃ、私が選ぶよ!!」
蛍光の黄色のTシャツを購入しました😁
そういうことで、その方とは二人の時間がありました。
その方は、奥様のことを
「急に死んだみたいだけど、本人は用意周到でね、お金のこととか凄くきちんとしてたんよ。かっこ良すぎて。僕は何も言えないよ。。」
って、具体的にはよくわからなのですが、、
そんな風にきちんとして死なないといけないと、はじめて思いました。
月日が経ち
新しいユニット特養に異動になった私は、そこで、ロト6のお父さんに久々に会いました。
だいぶ、レベルが落ちていました。
変わらず、キーパーソンは次男さんですが、長男さんにもはじめてお会いしました。
記憶が曖昧です。。。
特養での○○さんは、胃瘻です。
入所の時からだったか入所してからに胃瘻になったけ??
特養に来てからは、寝たきりに近かったですが、イヤホンではなく大きなヘッドホンでカープ中継を聞いているイメージでした。
いつ頃だったけな?
排痰が多く、自分の痰でゴロゴロいうようになり入院しました。
入院後、何ヶ月だったけ?
病院から、カンファレンスで呼ばれました。
次男さんも来られていました。
「あ!(私)さん、わざわざ来てくれてありがとうございます」
病院からは「これからもこのようなことが続きます」
要は特養では対応が難しい状態です。
幸い、病院がご家族が望めば看ますと言ってくれたことです。
次男さんは、入院継続を希望されました。
私達(特養)に負担をかけたくない思いもだと想像します。
契約上、私がいた特養からは退所してた思います。(記憶が曖昧)
その後、ご本人は亡くなられました。
次男さん夫婦が、私の所にご挨拶に来てくださいました。
私には亡くなった事は伝えたかったと。
次男さん「よく父から、(私)さん(私)さんって聞いていたので、さいごの挨拶をしておきたくて」
素直に嬉しかったです。
たぶん、応対したのが私だったので、次男さんが気を遣って言ってくださった言葉と思うんですが。。。
小規模から特養にかけて関わっていたので、私的には思い入れがあったと思います。
やっぱり、好きだったおじいちゃん?お父さんかな。
管理者という業務に、重圧を感じてたあの頃!
私には管理者なんて出来ないよ💦
内心、辛かったあの頃。
はい!ボス!
利用者さんに助けられてたんだ。
ありがとうございますm(_ _)m
その何年後に、実父が胃瘻造設する事になりました。そんな決断の時も、ふ~と思い出す利用者さんでした。
※あくまで私が感じた体験談で、基本的には実話です。しかし、歳月が経ち記憶が曖昧だったり、個人を特定されにくくする為にも、事実と違う部分があるかと思います。
ご了承下さい🙏
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